新たな抗がん剤治療が始まりました!

 

1月24日で放射線治療が終わり、新たな抗がん剤治療を始めるため、昨日2月2日主治医にお会いしてきました。
先週の内にCT撮影は済ませていたので、その結果の報告も受けました。

 

私から主治医には下記のように報告させて頂きました。

・今回の放射線治療の効果か骨転移による痛みは大分緩和された。
・副作用の怠さは、軽減されつつあるものもまだ残っている。
・最近行きたい所に出かけて気分転換できたせいか体調が急激に良くなってきている。

主治医からは先日撮ったCTの話などがありました。

・腫瘍は、塊りの部分が一回り大きくなって見えるものの、特に数は増えてない様子とのことで、1か月半ほど抗がん剤をお休みしてたので、こんなところでしょうとのことでした。
・採血の結果では、白血球も血小板の数もまだ少ないが、白血球の方が先日の値より(1.5倍ほどに)増えていて、次の抗がん剤治療に進んでも問題ないと思われるので、今日から点滴を始めましょうとのことでした。

 

今回から「ザルトラップ」という新しい組み合わせによる治療法になりました。

前回服用していた「カペシタビン」のような錠剤はなく、点滴のみのお薬で、また、携帯用の「トレフューザー」という点滴用のポンプを身体に付けたまま、46時間かけてお薬を投与します。
明日、病院でそのポンプの自己抜針の手順など教えて貰うことになっています。

 

現在の体調は、食欲はまだあまり戻ってないものの、その他の苦痛は大分緩和されてきました。
腰骨の痛みも今日になってほとんどなくなったので、あらためて放射線治療が本当に効いたんだなーと実感しています。
朝方感じていた気持ち悪さも、吐き気止めの薬を飲んでから少し治まってきたので、午後からは本当に久しぶりに夕食の準備を始めてみました。

まだ新たな抗がん剤治療が始まったばかりですが、少しずつ元気が戻ってきたようです。

 

ところで、この雪はいつ落ちるのでしょう?(夫撮影)

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放射線治療の12日間 怠さとの闘い

 

背骨の一番下、仙骨の部分への転移による痛みを和らげる為、1月6日から12日間のスケジュールで放射線治療を受けています。

事前に説明を受けていましたが、副作用の怠さは想像以上にありました。

私の場合、抗がん剤による副作用は緩やかだったので、この度の副作用の怠さは身に堪えて居ります。

ずっとブログを更新できない状態が続き、今も辛いですが、来週月曜で放射線治療も終わるので、一度くらいは投稿したいと思い何とか書いてみました。

 

こんな具合悪さは初めて経験していることで、何と表現したらいいか分かりません。

吐き気の時のむかむかする感じや気持ち悪いという感じでもありません。

放射線治療が始まって以来、起きていても、ベッドに横になっても強烈な怠さが襲ってくるようになって、自分の身体の置きようがありません。

それに痛みも加わるので、ゆっくり寝て休養することもできません。

気分が落ち着かず、寝室を出ては階段を一日に20回くらい上り下りを繰り返していますが、家事はもちろん、自分のやりたいことさえほとんど何もできません。

というより何もやる気力がおきません。

 

放射線治療により8割くらいの人は痛みが緩和されると聞いていましたが、2割の人は緩和されず、緩和されるまで2カ月くらいかかるケースもあるそうです。

私の現在の状況は、痛みの緩和はさほど感じられず、副作用の怠さと毎日闘っているという感じです。

怠さに効く薬はないらしく、治療が終わるまでただ耐えているしかないようです。

 

今月末から内容を変えて抗がん剤の治療も始まります。

副作用もそれなりに出てくるでしょう。

闘いはまだまだ続きます。

 

大雪が続いて除雪車が近くを通って行きました(夫撮影)。

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ヘルニアと骨転移の痛みの二重苦!!

痛みを言葉にして他人に伝えるのはなかなか難しいです。

歯の痛みの場合は、だいたいの人が経験しているのでその辛さは伝えやすいと思います。

緩和ケアのパンフに、痛みの強さを10段階に分けて評価する指標が書かれていました。

痛み度10   : 「耐えられないほど」痛い
痛み度8 : 「すごく」痛くて「とても」つらい
痛み度6 :  痛くてつらい
痛み度4 : 「少し」痛んでつらい
痛み度2 : 「わずかに」痛む
痛み度0 :  痛みがない

 

10月末、腰椎ヘルニアになる前は、痛み度「0」でした。
ヘルニアになったばかりの頃は突然ズキーンとくる痛みが辛くて、痛み度は最大「10」レベルまで行きました。
その後、徐々に痛みが減ってきたので、「ヘルニアが治まってきたせいかな?」と期待していましたが、「6」前後の痛みになったところで、それ以上痛みが治まる様子が見られず、日中動いていると、また「8」位まで増してきたりしました。
痛みが「5」以上もあると、日中何もする気力が起きず、痛みに耐えて寝てばかりいる毎日になりました。

このブログも、途中まで書いては完成しないうちに日が経過して状況が変わり、また書き直してというのを何回も繰り返してきました。

さすがに、自分でもこんな生活に嫌気がさして、何度も病院を訪ね、痛みを減らすための薬をいろいろ処方してもらいました。

ドクターは、「痛みを我慢していても何もいいことはありませんよ。」と話していて、「それが炎症による痛みであれ、他の原因による痛みであれ、薬で和らげてやりたいことができるように生活することが心身にとって大事なことです。」と言っておられました。

12月に入り、腰椎ヘルニアだけだったらそろそろ痛みが治まってきていい頃とのことでしたが、なかなかそうなっていかない現状に、「やはり骨転移があるかも知れないです。」との見解で、12月半ば近くになってやっと背骨全体のMRIを撮り、結果「骨転移あり」と診断されました。それもヘルニアを発症した場所のすぐ下にある背骨の付近に腫瘍と思われる影が写っていました。

私自身もあれだけ大きなヘルニアの画像を見せられ、数年前とまったく同じL5という位置で生じたヘルニアでしたので、そのときと同じように50日もあれば痛みが取れていくと期待していたのですが、途中から痛み方が変化してきて、当時とは違う嫌な痛みを感じてきていたので、もしかしたらと思っていましたが、大変ショックな結果になりました。

不幸なことに、結局私の腰の激痛の原因は、「ヘルニアと骨転移のダブルパンチだった!」ということでした。「痛みの二重苦」です。

肝臓がん摘出手術後の「侵襲」と呼ばれる症状で、「食べられない、寝られない、息苦しい、の三重苦。」を経験したことはありましたが、今度はそのときとはまったく異なる苦痛を味わっています。

ほとんど同じような位置にヘルニアと骨転移が生じたため、痛みの区別がつきにくく、結果、骨転移ありとの診断が難しくなっていたということでした。

それでも、12月に入ってからドクターは骨転移の可能性を考え、薬の処方を緩和ケアのドクターに委ねるようになりました。痛みのケアに対しては、そちらのドクターの方が適任とのことのようです。

ヘルニア発症時の痛み止めの薬は「リリカ(プレガバリンOD錠25mg)」が主体でしたが、骨の痛みは性質が異なるということで、医療麻薬系の薬「ナルサス錠2mg」が処方されました。

翌日の朝食後、処方通り2錠服用してみましたが、昼近くになって急に吐気が襲ってきて、洗面所に食べたものをほとんど吐き出してしまいました。吐いた後は、何ごともなかったように気分爽快となったので、その後昼食も気分良く食べました。

ところが、午後3時頃、またいきなり吐気が襲ってきて、洗面所にたどり着く間もなく、途中の床に全部吐き出してしまいました。

驚いたことに、吐いたものを見ると、昼に食べたごはんの一粒一粒がほとんど消化されていませんでした。

「これって、胃がまったく動かなかったということ?」と、薬の威力に怖くなりました。

その後、処方されたものの気に留めてなかった吐気止めの薬「オランザピンOD錠5mg」を飲んで、その日は用心のため何もせず早々に寝入りました。

翌日、「吐気止めを飲めばナルサスも飲めるかも?」と思いながらも、「あれだけ胃の活動を止めるだけの強力な薬に対して、吐気止めを飲むことで胃が動いてくれるのかな?」と疑問を感じながらも、ナルサスとオランザピンの同時服用を試してみました。

結果は上手くいき、その後数日は吐気も起こらず、痛みが「5」以下になる日もありました。
ただ、その間37~38.5℃の発熱が続いたため、薬が合わないせいかもと訴え、次の受診日からは、以前ヘルニアの時に服用していた飲み薬「ボルタレン」で、即効性のある坐薬タイプの薬を処方してもらい試してみることにしました。
ただ発熱の原因は、CTの画像から「たまたまその時期に軽い肺炎を起こしていたためのようで、ナルサス服用によるものではないでしょう。」との見解でした。

結果的には、この薬では以前のように痛みを下げることはできず、逆に「7~8」の痛みに増したため、一週間後の受診日には再び「ナルサス」に戻していただき、現在に至っています。

ナルサス」を朝食後に飲んで、次の日の早朝頃薬の効き目が切れてくる様子なので、同タイプの頓服薬「ナルラピド錠1mg」でその間を埋めるなど、いろいろ薬の飲み方や服用時間などを試しながら痛みと闘っています。

そのおかげで、現在は、日中も痛み度「3~5」位になり、簡単な食事を作るなどして何とか過ごせるようになりました。ただ食後は猛烈な睡魔が襲ってくるので、寝てばかりで過ごすことも多いです。

幻覚を見やすくなるということで、予防のため同時に処方された誘眠剤「デエビゴ錠5mg」も服用してみましたが、逆に何度も目覚めたりするなどしたため、以後飲まないことにしました。

「痛いから寝てる」だけではストレスフルの状態が続きます。
ただ、薬で痛みが和らいでもやはり寝てるだけだったら、それもストレスにつながります。
人は何か一つでもやりたいことができない状態が続くと気持ちが保てないのだと思います。

今続けている抗がん剤治療は、明日22日で一旦休薬期間に入ります。
明日は年内最後になりますが、緩和ケアを受診し、今後の薬を処方してもらいます。

年明け5日に別の病院でCTをとり、そこで6日から12日間連続で放射線治療を行うことになりました。

10~15分程度の放射線治療を受けるため、学校に通うように毎日病院に行きます。
放射線治療を行うことにより、骨部にできた腫瘍が縮小するなどして8割程度の患者が痛みを軽減できているそうなので、早くそうなって痛み止めの薬から解放されたいと願っています。
それまでは、薬で痛みを和らげるしかないので、「ナルサス」を服用しながら少しでも生活の質を上げて、楽しく年末年始を過ごしていけたらと思っています。

腰の激痛に・・・麻薬系の鎮痛薬!?

 

12月1日は、整形外科(腰椎椎間板ヘルニア)と外科(化学療法)の受診日でした。

ヘルニアの痛みがでてから約一か月が経過していました。

痛みが辛かったせいでブログの更新もずっとできないでいました。

最大激痛時の痛みを「10」とすると、日中は今でも「6.5」位の感じで続いていて、なかなか痛みが軽くなる様子がありません。

特に起床時の痛みはまだ「8」位で、痛みに耐えながら20分位かけてやっと起床している状態です。

起床時に激痛に襲われると日中も痛みが残ります。

痛みの出方から総合的に考えて、「骨転移」も疑ってみる必要もあるというのがドクターの現段階の見解でした。

痛みをさらに緩和する為に、医療用麻薬系の鎮痛薬「ナルサス錠2mg」「ナルラピド錠1mg」や吐き止めの「オランザピンOD錠5mg」などが新たに処方されました。

ドクターの処方に従っていけば依存性もないそうで、まずは痛みを上手にコントロールして、生活の質をアップさせていきたいと思います。

痛みとだけ向き合っていると、活動量も減り気持ちも下向きになりがちです。

採血の結果、白血球数が2400で好中球が44.4%(2400×44.4%=1066)、血小板数が67000と、前回より更に下がって治療継続が困難な値になっていたので、本日の化学療法は来週に一週間延期となりました。

また、12月に入り、治療サイクルの関係で、年末年始に抗がん剤を飲むのはなんとか避けたいということで、休薬期間中に大晦日・お正月を過ごせるよう治療の計画も調整していただきました。

 

起床時にどのように起きたら良いかリハビリの指導を受けてみたいとリクエストし、診察が一通り終わったあとリハビリ室に移動し、初めて理学療法士の方から様々なアドバイスを受けられました。

参考になることがいろいろありましたが、ベッドからの起き上がり方については、今までやってきた方法で良いということで、とにかく痛みを感じにくく、自分にとって楽に思える姿勢を保ちながら身体を動かすことが重要とのことでした。

造影剤CTは予定より少し前倒しで来週CT検査することになりました。

 

この冬の読書の目標は「赤毛のアン」など、そのシリーズ11巻読破としました。

読書好きな少女はきっと誰もが手にした名作と思います。

赤毛のアン」のドラマシリーズをTVで放送していて、それをずっと見続けていたことがきっかけで、今できることの中から一番やりたいことをしたいと思いました。

中学生、高校生、成人になってから何度となく読んだ「赤毛のアン」ですが、家の外が雪に閉ざされいくこれからのシーズンに、11巻完全読破は良い機会かと思っています。

 

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腰に激痛!!...原因は「立派な腰椎椎間板ヘルニア」でした!

 

予約していた整形外科を一昨日受診しました。

急な予約による受診のため、整形では初めてお会いするドクターでした。

 

撮影したMRIの画像を指しながら、「ここに椎間板ヘルニアがあって、結構立派なんですよねー。」と話してきました。

「腰椎と仙骨の間、L5の位置にある椎間板がつぶれて、脊柱管の方にこんなに飛び出てきています。」「脊柱管は神経の束がたくさん通っているところで、飛び出たものが神経に直接触ることになるので、触り方によってはかなりの激痛になります。」と。

 

数年前にも同じ位置がヘルニアになり、もっと強い激痛で50日も入院しましたので、どうやらそれが再発したようです。

 

ドクターの話によると、

飛び出したものが体の中で異物扱いされることで、攻撃されて小さくなっていく可能性があると。

今回のように大きいヘルニアだと、最初の痛みは強いけど逆に治りも早いので、だいたい2週間から一か月くらいで本来の位置に縮んで痛みも減ってくるとのこと。

それまでは、薬を飲んで出来るだけ痛みを緩和していきましょうとのことでした。

 

「化学療法していると骨密度が下がりやすくなる。」

「ところどころ背骨が痛んでいるところがあり骨粗鬆症の傾向もあるので、薬か注射で治療しましょう。」

ということになりましたが、これ以上薬は飲みたくないので、月一回ごとの注射(一年以上続く?)を選択しました。

抗がん剤の点滴で3週間ごと。骨粗鬆症の注射で4週ごと。」なので、これから毎週のように病院に通うことになりそうです。

 

今回の痛みは腰に集中していましたので、「もしかしたら骨転移による痛みでは?」との不安はずっと続いていましたが、ドクターに聞くと、「転移があるわけではなさそう。」とのことだったので、少しほっとして帰ってきました。

12月頃にはなんとか日常が戻りそうなので、できなかったことをまたやっていきたいと思っています。

 

今朝も、ベッドから起き上がるまで、20分以上かかりました。

だいぶコツはつかんできましたが、それでもその日によって激痛に繋がるポイントがミリ単位で違うようで難儀しています。

でも原因が分かって、ある期間我慢すれば解消する?痛みであれば、今の私にとっては良しとしなければならないでしょうね。

 

少し気分を変えてみたいと、しまっておいたクリスマスグッズを棚に並べてみました。

 

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今年は、ケーキは焼けるかなぁ?

一昨年は札幌のクリスマスマーケットに出かけ、チョコレート風味のホットウイスキーで温まったなぁ・・・と思い出しています。

腰に激痛!!…また「骨折?」「ヘルニア?」それとも「骨転移?」

 

10月末、道南旅行と札幌でのコンサート鑑賞が一通り終わり、久々にゆっくり身体を休めようと思っていましたが、休む間もなく、突然今度は背中の腰骨の部分に激痛が走りました。

 

以前起きた背中の圧迫骨折がまだ完治していない状況なのに、今度はかなり腰の下の方の骨のあたりに鋭い痛みが走り、背中とは比較にならないほどの強い痛みが新たに加わりました。

食事とトイレと寝ること以外はほとんど何もできなくなったため、夫にサポートしてもらうしかありませんでした。(静かに座ってこのブログの文字を打つだけならぎりぎり何とかできていますが…)

 

数年前にも腰椎のヘルニアで50日間入院したことがあり、その時とは若干痛みの感じ方は違いますが、痛みの中心がほぼ同じような箇所なので、やはりそれの再発かと思えます。

先日の受診時に測定した骨密度も下がっていたようなのでまた骨折した可能性もあります。

主治医も可能性は低いと言われてましたが、骨転移とは考えたくないです。

ただ、骨折とヘルニアと骨転移については、痛み方の違いがはっきりと分かりにくいと・・・。

どうなんでしょう?

 

いずれにしても、そのことがあって先週背骨全体のMRIを撮ってもらったので、明日電話をかけて、その結果と治療方針を聞きに受診してきたいと思っています。

元々予定していた受診日は今秋水曜ですが、その日は6サイクル目の抗がん剤治療の開始日となるので、それに集中したいと。

 

抗がん剤治療だけでも大変なのに、なぜ今になってこんなに次々と災難が襲ってくるのか?
痛みや苦しみには比較的強い自分とは思っていましたが、さすがに今回だけは大いにへこんでいます。

ベッドから起き上がるときが一番辛くて、4~5回くらい激痛が走りますので、慎重に30分くらいかけながらやっと起き上がります。
痛いのと情けないのとで涙が伝わってしまうこともあります。

 

新たに処方してもらった痛み止めの効き目が弱いので、昨日電話して許可をいただき、以前服用していた、より強力なロキソニンをまた飲み始めました。

入院時に使用していた腹帯では腰椎のサポートには効かないため、通販でハードな腰のサポーターを注文しました。
昨日それも届いたので、これで少しは楽になりたいと願っています。

 

今日はここまでで終わります。

函館・大沼と縄文遺跡巡りの旅に行ってきました!

 

10月25日から二泊三日、紅葉に染まる道南方面を旅してきました。

帰宅後、すぐにブログを更新しようと思っていましたが、急に困難な事態が起きてしまい書けませんでした。それについては、またあらためてということにし、忘れないうちに感動の旅の記録を残しておきたいと思います。

 

初日のお昼頃に車で函館入りして、新幹線で来た娘と新函館北斗駅で合流しました。

私たちも娘も初めて訪れたまだ新しい駅でしたが、市街地から離れているため、駅を出るとすぐ周りには田んぼや畑の風景が広がりました。

函館中心部までは自動車専用の道路もありましたが、夫はそこを通ってもつまらないと、わざわざ信号の多い道を走って行きました。通ってみると、そこは見事な松並木が延々と続く道で、飽きずにドライブを楽しめました。

港のそばの有名な赤レンガ倉庫が続く道路を過ぎて、函館山の下にある駐車場に車を駐めました。

それから「旧函館区公会堂」などの歴史的建造物をいくつか見学したり、雑誌でも紹介されている美しい坂道などを散策しました。

 

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「旧函館区公会堂」

 

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 「八幡坂」

 

夕方近くになって函館山に向かいました。乗りたかったロープウェイはあいにく点検の時期にぶつかったため、やむを得ずバスで山頂まで行きました。(帰りのバスの時、山道を回って下りながらゆっくり夜景を楽しめたので、結果的にはバスの方で良かったと思ったのですが…)

ずっと天気予報を見続けてきて、プランした10日くらい前の時点では、ここから3日間は好天が続くという予報でしたが、前日になると今日一日だけの晴れ予報に変わっていました。

それでも今日は朝から快晴が続き、思ったほど寒くもなく夜景見学には絶好の日和でした。

標高334mから望む夜景は、デザインされたような末広がりの地形が正に壮観な眺めで、日本三大夜景・世界三大夜景と言われているのも納得出来ました。

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学生の時に訪れていた山頂の風景も一変し、建物も広く大きく立派になっていて驚きました。

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湯の川温泉に宿をとっていましたので、その晩は、波音を聞きながら部屋の個室露天風呂で疲れを癒し、地ビールと懐石膳を堪能しました。

 

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二日目の天気は予報通り朝から曇っていました。ホテルを出て「トラピスチヌ修道院」を見学した後は、海岸沿いの道を半時計まわりに走りながら、「函館市縄文文化交流センター」という博物館に向かいました。途中走りながら、遠くに下北半島を望む美しい海を眺められなかったのが残念でした。

最初の予定では、縄文遺跡を見に行くことなど夢にも考えていませんでしたが、通っていく道沿いに、今年7月末に世界遺産に登録されたばかりの遺跡群がたくさんあることが分かり、縄文文化大好きの私ですので、直ちに「縄文遺跡群巡り」もプランの中に加えました。

大船遺跡に行ったところ、実際に発掘調査をしていたという地元の女性ガイドさんの説明も聞くことができました。北海道唯一の国宝「中空土偶」にも出会え、紀元前3,500年から2,000年頃の縄文時代のロマンに触れることができました。

 

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 国宝「中空土偶」実物

 

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「大船縄文遺跡」 

ただガイドさんが話していたように、せっかく世界遺産に登録されても地元の人たちの盛り上がりが薄く(遺跡の発掘調査のため先祖代々の墓があったところを墓地ごと山の方に移動させられたなど、生活圏の中で遺跡とともに暮らしてきたためとのこと)、博物館でのお土産品を見ても、まだ選べるほどの種類が用意されてなかったのが残念に思いました。

余談ですが、昨日北海道のローカルニュースを見ていたら、タイミングよく大沼の紅葉や縄文遺跡の話題などが特集されていました。そして、北海道の縄文遺跡だけは、本州と違って、先住民族アイヌの人たちが残した遺跡だということを初めて知り、なるほどと思いました。

だとしたら、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として一緒に世界遺産に登録された、津軽海峡を隔てたところにある有名な「三内丸山遺跡」などの北東北の縄文遺跡群は、和人の残した遺跡ということになるのでしょうか?新たな疑問ができてしまいました。

それから、私も北海道に来てから知ったことですが、本州の方が弥生時代に移った後も、北海道だけはずっと縄文時代が続いていき、弥生時代という時代区分が存在しないそうです。道外の方はご存じでしたか?

 

大船遺跡を見た後、さらに北に向かっていくと、時間が経つにつれ大沼の方角の空が急に晴れ渡ってきていました。そして大沼公園の駐車場に着いた時には、紅葉で赤く染まった駒ヶ岳が美しい姿を見せてくれていました。

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大沼公園から見た駒ケ岳

 

今回の旅の最初の目的は、紅葉に染まった大沼と駒ヶ岳の写真を撮ることでした。

でも天気予報を見て今回はあきらめ、それに代わって縄文遺跡を見れたのだから良しとしようと納得させていました。

それが、なんとこれ以上は望めないほどの見事な駒ケ岳を見ることができました。大沼と駒ケ岳と紅葉とのコラボで最高の素晴らしい景観が見られました。

予定より遅い時間に着いたので、ゆっくり散歩できなかったのが少し残念でしたが…。

 

ホテルに着き、ライトアップされた紅葉を眺めながら露天風呂につかり、和洋折衷の夕食を楽しみました。

そして、部屋に戻って今回撮った写真のスライドショーを見ながら、函館ワインと地ビールとスイーツで楽しい打ち上げタイムを過ごしました。

 

 

三日目は、人気の七飯町の道の駅 「なないろ・ななえ」に立ち寄りました。

男爵芋の博物館も併設されていて見て回るだけでもかなり楽しめました。欲しかった紅玉リンゴなども買えたので、帰宅してからのスイーツ作りが楽しみになりました。

その後はいよいよ「函館五稜郭」に行き、「五稜郭タワー」と「箱館奉行所」を見学しました。

幕末維新の歴史にときめく私ですので、その歴史舞台を訪ねてまさに感慨無量でした。

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復元された「箱館奉行所

 

タワーから眺める五稜郭と函館の街も圧巻で、桜の時期の景観を想像してぜひまた訪れてみたいと思いました。

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五稜郭タワー」より

 

その後は「金森赤レンガ倉庫」街で写真を撮ったり、函館のソウルフード特大ハンバーガーに舌鼓を打ちながら、この旅を締めくくりました。

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 「金森赤レンガ倉庫」

函館の街は想像していた以上に大きく立派で、美しく整備されている観光地だと感じました。新幹線が来て、この地の縄文遺跡が世界遺産に登録されたことで、函館がさらに発展していってくれればいいなと思いました。

今回の旅行も、前回と同様見どころも多く内容盛りだくさんでしたが、旅行中は不思議なほど体調も良かったので、食事も美味しく頂けことは感謝でした。

 

帰ってきた翌々日には、予約していた「フジコヘミングとN響のジョイントコンサート」を聴くため、また忙しく出かけました。

 

この10月だけで、抗がん剤治療中にやりたかったことのうち、
・道南の旅に出かけ、洞爺湖、函館・大沼の紅葉の写真を撮ること。
・フジコヘミングさんなどのコンサートを聴きに行くこと。
が二つも実現できて、本当に幸せだと思いました。

もし健康なままで過ごしていたら、いつでも行けると思い、たぶんここまでできなかったんじゃないかとも思いました。

 

ただ、少々ハードな日程が続いたせいか、コンサートから帰宅した夜から、急に腰に強い痛みが出てきました。

「またなの!?」と思い気持ちもダウンしましたが、まぁ旅行とコンサートと両方行けたのですから、満足すべきなのでしょうか?

その後のことは、またあらためて書きたいと思います。