感情のリハビリ

昨年の秋、整形外科で膝の手術をしました。

ところが、その後の血液検査で消化器関連に異常値が見られたことから、画像診断を含めて改めて精密検査を行った結果、いきなり大腸がんステージ4(肝臓転移)という告知を受けました。血便やお腹が痛いとかの自覚症状もなく、体調も普通だったことから、当時の私には想像すらできなかったことで、まさに晴天の霹靂でした。

それでも、告知直後から大腸の手術日まで、終始動揺せずドクターの説明を冷静に受け止めることができました。「どのくらいの長さを切除するのですか?切除した後、検体をみることができますか?」など、ドクターに聞いたりすることはありましたが、このことで涙したことはありませんでした。

緩和ケアのドクターや看護師さんと何度かお話する機会がありましたが、話題はもっぱら、「夫がかなりショックを受けてしまっているので」・・・と自分のことよりも夫の方の心配をしていました。若い看護師さんたちにも「(気持ちが)強いですね」と何度も言われました。

 でも、信頼を寄せていたベテランの看護師さんから励ましの言葉を頂いたときには、さすがにしんみりとした気持ちになりました。

整形の入院病棟で、それまでずっとお世話になってきた理学療法士の方や、看護師さんの方にも、気遣いや励ましの言葉をかけていただき、申し訳ない気持ちになりました。
そして、「人生は良くも悪くも思いがけないことの連続。人生はそうしたものだと受け止めています。私は、過去に困難な人生を過ごしてきたことで、多少のことでは驚かなくなってしまったんでしょうか?」と笑いながら話していました。

強くなったとは思わないけれど、がんの告知でさえも驚かなくなってしまったのか?と、あらためて自分自身の気持ちを不思議に思いました。

もしかしたら、私は、感情の感度が人より鈍いのかもしれないと思えてきました。

若い頃からいくつもの困難に遭遇してきたため、辛いことでも辛いと感じないように、いわば自己防衛本能が働いてきたのでしょうか?

感情の感度を鈍らせることによって、受けるダメージをできるだけ少なくして自分を護ってきたのかも・・・

 

「人生はそんなもの」と悟ったようにみえますが、単に感情の感度を鈍らせていただけじゃないか?そう思うといろいろ腑に落ちるものがありました。

過去に人生の困難に遭遇したときでも、嘆いたり怒ったりの感情が沸き上がることはほとんどありませんでした。それより先に私の頭を支配したのは、「さぁどうする?どうやって、この困難に対処する?」という思いだけでした。

元夫やその親族からひどいことをされた時なども、相手を憎んだり怒ったりすることはなく、それよりも、自分の気持ちがダメージを受けてエネルギーを削がれるのが我慢できませんでした。

 

そういう思考回路は、ある意味、過去の私を護ってきてくれたと思いますが、逆に、それによって、私の感情のバランスはかなり狂わされてきてしまったようです。

そうしたことに今までは何の疑問も持たずに過ごしてきましたが、今あらためて、そんなことじゃダメなんじゃないかと思い始めました。

でも、心に沁みついてしまった癖は、考える以上になかなかしぶといものがあります。

これから時間をかけて、自分の喜怒哀楽の気持ちをもっと素直に出せるように、感情のリハビリをしていきたいと思っています。

このようなことも、文章に書いてみることで考えが整理されて、少し落ち着いた気持ちになってきます。

ブログを始めたおかげでいろいろ視点も変わってきて、これから先、私自身がどのように変化していくのか楽しみです。